メイズ・ランナー(原題: The Maze Runner)迫りくる死のトラップ!

メイズ・ランナー(原題: The Maze Runner)迫りくる死のトラップ!
メイズ・ランナー
メイズ・ランナー(2014年アメリカ)
ストーリー:STORY
若い少年達が次々と送りこまれる謎の空間。そこへ物凄く高い塀で覆われた脱出不可能な場所。一度迷いこんだら二度と帰ってこれないその建造物の構造は極めて難解な迷路の創り。記憶をなくし、ただひとつだけ自分の名前だけが脳裏に残っている少年達の運命は..

『メイズ・ランナー』脱出困難な壁に覆われた空間。そこに送りこまれた少年達の運命は...

Wes Ball ウェス・ボール 監督

Noah Oppenheim ノア・オッペンハイム 脚本

Grant Pierce Myers グラント・ピアス・マイヤーズ 脚本

Dylan O’Brien ディラン・オブライエン

Aml Ameen アムル・アミーン

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相当な奇想天外な物語「メイズ・ランナー」少年達が訳も分からず送りこまれたところは、高く分厚い壁で四方八方囲まれた、壮大な敷地面積の場所。 少年達は皆揃って、この不思議な空間にて、ある日突然目が覚めたときは、ほとんどの記憶は失われている。微かに覚えているのは自分の名前だけ。でもそこには既に十数人の少年達がいた。境遇は皆同じです。 彼らはそこで共同生活し、なんとか生き残っている、少年によってはこの閉ざされた空間に、既に7年も8年も生活している、何もわからずここに送りこまれた少年達は、一応は皆で協力しあい、また助けあい生き延びてきていたのです。 でも確かに、この悪条件の中での共同生活。ある程度の柵や争いごとは耐えることはない。
少年達は揃って記憶がないのだから、ここに来てしまった以上、0の状態から生きていくという覚悟なのだろうか… それは覚悟を決めているのかもしれないし、僅かな望みにかけているのかもしれません。 何年もの長い歳月をかけて、この場で生き延びてきた少年達の姿や表情には思うほどの「疲労感や心労」は感じられません。きっと少年達はここである意味生まれかわったのだろうか.. 彼には一連の覚悟はあるかもしれないが、ひとつ望むは捨てていませんでした。

それはこの迷路から ” 脱出する ” ということです。四方を高い壁で覆われているこの巨大空間は、ある時間になると、自動的に壁の一部が開きだす、その一瞬が彼らの唯一の脱出のチャンスです。 しかし、そこには大きな問題がありました、それは散々言っているように、この壁一体は迷路になっているからです、しかも、一度中に入りこんでしまうと「脱出経路」に辿り着かない限り、二度と出てくることはできない。

ほとんどの記憶をなくした少年達が結束して脱出を試みる。

なぜ少年達が次々とこの場所へ送りこまれるのか… その最大の謎は、映画が始まってからもまったく見えてこなず、理由は最後まで明かされません。映画冒頭からして、謎というワードが絡んでいながら、その謎は延々と続きます。つまり、あなたはこの謎に妙に引っかかったままエンディングを迎えることになります。この映画は ” 脱出 ” というものがメインテーマになっていながら、それは普通の脱出とは違います。何かが追ってくるわけでもないし、攻撃してくるわけでもない。でも脱出しなければいけない、理由はそのままそこに居続けても、「死ぬ」.. かどうかは定かではないが、食料だってどうやって調達しているのか知らないが、尽きてくることだってあるかと思います。 例えそうでなくとも、敷地が広いだけで、そこに共存しているのは、数十人の若い少年達だけ。具体的な理由などなくとも脱出が必須なのは理屈抜きで誰でもそうしたいはず。
映画での彼らは、当然ですが、脱出に必死です。しかし、必死な彼らに対し、この分厚い壁は非情にも、複雑な動きと予測不可能なその動きで、そう簡単には下界へとは行かせてくれません。

自らを追いつめていく少年達が最後にとって行動とは。

人間は生か死かの状態のときは冷静な判断はできなくなりがちです。彼らもそうです。この映画ではこの壁に覆われた空間の中で、互いにぶつかり合い、衝突しながらも、最後には結束して、また一丸となって脱出計画を実行しようとします。
この映画のこのような舞台とストーリーは、漫画やアニメの世界でよくあるようなストーリーだし、それをよく言えばとてもファンタジーな映画です。この映画では、この場所に隔離されている少年が目まぐるしく変化していく ” 心の葛藤 ” がよく描かれています。 それは脱出とはいっても囚人が刑務所から逃げ出す「脱出」でもなく、誘拐犯に捕らわれた被害者が拘束された場所からの脱出とも違います。その大きな違いが映画冒頭が続いているここに「いなければいけないわけ」と、もしそうであれば「何の為に、何を目的として..」ということが完全に ” 謎 ” だというところです。この不可解で、突拍子もないような映画コンセプトは、まあいいアイデアだとは思います。  それはすべてが空想で出来た映画です。少年達はほとんど記憶がないですし、周りは完全に脱出不可能と言ってもいいほどの難解な迷路。 つまり彼は追いつめられているのではなく、自らを「追いつめている」のです。 定期的に壁が開き、僅かな隙間から入りこむ少年達の中でも足の速い少年には、週十秒間という僅かな時間しか与えらえていません。

自らを追いつめ、この困難な迷路にジレンマを感じ苦悩する若者たち。だからあなたはこの映画を見たら、「ハラハラ・ドキドキ」という瞬間はあまりないのかもしれません。記憶を失った少年達は、今いる現状から脱却するしか方法がなかったのです、そして脱出が成功したとき、そこで目の当たりにした光景や情景が、新たな本来の自分を呼び戻してくれるはず・・ そう信じていたはずです。

この映画には以外な結末がまっています。意外とは言っても見る人によっては映画終盤近くで想像つくかもしれません。  但しこの映画には「スリリング」や「興奮」などの感情は沸いてきません。それはとても不思議な世界で行わる少年達の冒険劇のようですが、心が熱くなるような場面もありません。迷路の奥深くまでの侵入が成功したとき、彼らは大きな行く手を阻むものと遭遇しますが、その場面でも、映像そのものはとてもエキサイティングですが、この映画が根本的にそのような感情を沸きたててくれる映画ではないので、その迫力シーンには逆に熱が冷めるような感覚を覚えます。そして中半端な感覚で迎えるエンディングシーンは、その時点で自分の感情移入のバイオリズムが若干崩れてしまっているので、満足いくエンディングと捉えることもできませんでした。
登場人物基本男性、唯一女性がひとり。この幻想的空間と「脱出劇」の組み合わせはいまいちバランスがとれていなかったようです。

メイズ・ランナー(原題: The Maze Runner)

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